あなたは義に過ぎてはならない。また賢きに過ぎてはならない。あなたはどうして自分を滅ぼしてよかろうか。
わたしは、自分に与えられた恵みによって、あなたがたひとりびとりに言う。思うべき限度を越えて思いあがることなく、むしろ、神が各自に分け与えられた信仰の量りにしたがって、慎み深く思うべきである。
蜜を得たならば、ただ足るほどにこれを食べよ、 おそらくは食べすごして、それを吐き出すであろう。
あなたがたは、わざとらしい謙そんと天使礼拝とにおぼれている人々から、いろいろと悪評されてはならない。彼らは幻を見たことを重んじ、肉の思いによっていたずらに誇るだけで、
これらのことは、ひとりよがりの礼拝とわざとらしい謙そんと、からだの苦行とをともなうので、知恵のあるしわざらしく見えるが、実は、ほしいままな肉欲を防ぐのに、なんの役にも立つものではない。
だれも自分を欺いてはならない。もしあなたがたのうちに、自分がこの世の知者だと思う人がいるなら、その人は知者になるために愚かになるがよい。
わが子よ、これら以外の事にも心を用いよ。多くの書を作れば際限がない。多く学べばからだが疲れる。
女がその木を見ると、それは食べるに良く、目には美しく、賢くなるには好ましいと思われたから、その実を取って食べ、また共にいた夫にも与えたので、彼も食べた。
わたしは一週に二度断食しており、全収入の十分の一をささげています』。
富を得ようと苦労してはならない、 かしこく思いとどまるがよい。
これらの偽り者どもは、結婚を禁じたり、食物を断つことを命じたりする。しかし食物は、信仰があり真理を認める者が、感謝して受けるようにと、神の造られたものである。
熱心の点では教会の迫害者、律法の義については落ち度のない者である。
更にまた、「主は、知者たちの論議のむなしいことをご存じである」と書いてある。
兄弟たちよ。あなたがたが知者だと自負することのないために、この奥義を知らないでいてもらいたくない。一部のイスラエル人がかたくなになったのは、異邦人が全部救われるに至る時までのことであって、
そのとき、ヨハネの弟子たちがイエスのところにきて言った、「わたしたちとパリサイ人たちとが断食をしているのに、あなたの弟子たちは、なぜ断食をしないのですか」。
そして人に言われた、 『見よ、主を恐れることは知恵である、 悪を離れることは悟りである』と」。
しかし野ろばの子が人として生れるとき、 愚かな者も悟りを得るであろう。
彼らは頭にちりをかぶり、泣き悲しんで叫ぶ、『ああ、わざわいだ、この大いなる都は、わざわいだ。そのおごりによって、海に舟を持つすべての人が富を得ていたのに、この都も一瞬にして無に帰してしまった』。
わたしは、彼らが神に対して熱心であることはあかしするが、その熱心は深い知識によるものではない。
見よ、おまえたちの家は見捨てられてしまう。
偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたは預言者の墓を建て、義人の碑を飾り立てて、こう言っている、
そのすることは、すべて人に見せるためである。すなわち、彼らは経札を幅広くつくり、その衣のふさを大きくし、